2013年03月26日

西洋の悪徳と文明開化


江戸時代に日本を訪れた外国人が書き残した
さまざまな文章を見ると、当時の庶民は
ゆったりと、屈託なく、笑みを浮かべて
小さなこととに美意識を見いだしながら
平和のうちに生きていた様子が伝わってきます。

chusyaku_pic_s_02.jpg
『歌麿筆 寺子屋小謡図版画』 

そんな平和な日本に開国を迫ったのが下田の
アメリカ領事館に赴任したタウンゼント・ハリスです。
(中学高校で勉強したような気がしますね)

ハリスは1856年(江戸末期)の領事館開設日の
日記に次のように記しています。

 「厳粛な反省-変化の前兆-疑いもなく
 新しい時代が始まる。あえて問う。
 日本の真の幸福となるだろうか。」

開国することによる欧米文化の流入が
日本のためになるのか苦悩している様子が
伺えます。

「こんなことしていいのかなあ」
なんて思うことは私たちの日常生活の中にも
ありますよね。

またハリスの通訳として江戸で幕府と交渉していた
ヘンリー・ヒュースケンは1857年に日本の変化を
次のように表現しています。

 「いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。
 この進歩はほんとうにおまえのための文明なのか。
 この国の人々の質僕な習俗とともに、その飾りけの
 なさを私は賛美する。

 この国土の豊かさを、いたるところに満ちている
 子どもたちの愉しい笑い声を聞き、そしてどこにも
 悲惨なものを見いだすことができなかった私は、
 おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを
 迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な
 悪徳をもちこもうとしているように思われてならない。」

この通訳の方も日本の良さを高く評価する一方で
開国後の日本を心配しているようです。

「そんなことしなくて、今のままでいいのに。」
という気持ちが伝わって来ます。

テレビでも化粧の濃い女子高生が
すっぴんになったらとても可愛い
素顔になった、なんてことありますよね。

そんな時私は
「無理して化粧しなくてもいいのに」
なんて思ってしまいます。

当時の通訳の方もそんな気持ちで日本の開国を
見ていたのでしょうか。

さらに、咸臨丸の航海練習を指揮したオランダ人
カッティンディーは次のように述べています。

300px-Kanrinmaru.jpg
   咸臨丸(Wikipedia より)

 「私は心の中でどうか、今一度ここに来て、
 この美しい国をみる幸運にめぐりあいたいのだと
 ひそかに希った。

 しかし同時に私はまた、日本はこれまで実に幸福に
 恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出会うか
 と思えば、恐ろしさに耐えられなかったゆえに、
 心も自然に暗くなった。」

彼らは、自分たちがこれから日本にもたらそうとしている
文明が、日本古来のそれよりいっそう高いものである
ことに確信をもっていたようですが、それが
「果たして一層多くの幸福をもたらすかどうか」
については自信がなかったようです。

これから日本が世界で戦争に巻き込まれたり
仕掛けたりしていくようになると、今持っている
日本人の幸福感が消えてしまうのではないかという
不安を抱いたのかもしれません。

そしてこれら外国人が感じた日本の将来に対する予感は
今から考えると非常に鋭い洞察だったといえそうです。

一言でいうと 「当っていた」 という感じです。

この開国による 「文明開化」 は時の明治政府の
思惑とも一致していました。

従来のものを壊して新しいものを導入する ・・・

現代の政治でもそうですが、新政権を取った者は
自己の正当性を強調するために、前政権を否定する
傾向があります。

江戸時代の建物や資料があまり残っておらず
当時の様子を知るのに上記のような外国人の
記録を見ないと分からないのもそういった理由から
かもしれません。

明治の新政権が誕生した際、伊藤内閣が
自分たちの新しい政権を正当化するために、
旧勢力を抹殺するため、江戸時代の建物や資料を
消滅させてしまったという面があるのかもしれません。

そしてそのようなことは珍しいことではないのです。

世界の歴史を見ても、戦争に勝った部族や国というのは、
負けた部族や国を完全に支配下におくため、
負けた部族や国の反勢力の芽を摘むために、
徹底的に負けた部族や国の文化や建物・要人を
抹殺しています。

明治政権が誕生した際も、それに近いことが
行われたのかもしれません。

実際、大政奉還が行われて江戸幕府は終わったのに
そのあとで鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争などが
起こっています。

boshin.jpg
  上野合戦 (Wikipedia より)

将軍徳川慶喜は大政奉還の後、全国の全ての
大名と各藩の有力藩士による ”議会” を開催し、
その場でどのような政府を作るかを
討議し、議決しようと考えていました。

でも議会で多数決になったら自分たちの意見は
少数になって通らなくなる・・・ と危機感を抱いた
薩摩や長州は

「この際、武力に訴えて権力を握ってしまおう」

と考えて起こしたのが鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争と
いう側面があるようです。

そして徳川幕府のメンバーを一掃した明治政府による
政治が始まりました。

新政府の考えのもとに法律や様々なルールが決められ
教科書も作られていき、「歴史は勝者によって作られ」 ながら
江戸時代の日本の真の姿は忘れられていきました。



posted by 真也 at 21:57| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2013年03月25日

江戸時代へタイムスリップ


昨日は江戸時代の様子を外国人の感想を
通してお伝えしました。

日本称賛の渦のような内容でしたね。

でもなぜ日本がそんなに素晴らしい国として
彼らの目に映ったのでしょうか?

それを理解するために、まず西欧諸国の
状況をみてみます。

当時のパリやロンドンでは成人男性でさえ
10~20 %程度の識字率であり、多くの市民は
文字が読めませんでした。

貴族階級以外は使用人か農奴であり
彼らは麦わらの中での雑魚寝生活です。

支配する人とされる人しかいなかった
わけです。

建築物は見栄えの良い石作りの高層建物は
ありましたが内情は例えばトイレは壺に用を
たしていました。

(それで女性のドレスには裾に鉄線が
入れられた花びらのように開かれたもの
になっていました)

そして一杯になると窓から外に捨てられて
夏になると虫がわきコレラが流行しました。

臭い消しとして香水が発達したのは
こうした背景がありました。

※ このあたりは次のブログが参考になります。
 「ヨーロッパのトイレ事情」

このような状況下の西欧から日本に来た外国人の
ほとんどが中国・上海を経由しました。

その頃の上海は、見た目は石造りの高層ビルも
ありましたがほとんどの住民は彼らから見ると
物乞い同然の汚いものでした。

そこからさらに船で東端の島国である日本を
目指しました。

インド・中国の次であり、彼らは相当な汚さを
予期していたようです。

ところが日本に上陸するとその美しさに
絶句しました。

春夏秋冬のまるで絵画に描かれたような
自然に圧倒されたのです。

そして寒村の横浜でも小道に至るまで
きれいに手入れが行き届いており、
ヨーロッパにおける農奴の
生活ではありえないことでした。

それまでの国々のように何かをねだって
まとわりついてくる子どもたちもおらず、
礼儀正しい住民と目を輝かせた好奇心
あふれる子どもたちがいました。

彼らは異邦人を家に案内し、食事を与え
風呂にまで入れてくれることもありました。

寝る時には家に鍵をかけなくても
安心なようでした。

別れ際には姿が見えなくなるまで
家族で見送ってくれます。

さらに江戸へ行くとそこはより楽園の
ようでした。

何千という自然豊かな公園が存在し
小さな個人の家にも盆栽などが植え込まれて
いました。

しかも非常に衛生的です。
トイレ完備、汚物は有機肥料へリサイクル
とても清潔で掃除の行き届いた街並み
だったのです。

また一般庶民が本屋で立ち読みする姿にも
仰天しました。

・・・・・・

外国人にとって驚きの連続だったというのも
うなずけますね。

そんな純真無垢、素直、好奇心で満ち溢れている
愛らしい人々の前に黒船という脅威がやって
きました。

それからの日本は欧米のお金中心の世界に
怒涛のごとく巻き込まれていきます。
その過程はまたの機会に。




posted by 真也 at 21:38| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2013年03月24日

素晴らしい国


明日は月曜日。
また仕事が始まるということで少しブルーに
なっている方もいるかもしれません。

今の世の中は昔から比べると物が豊かになり
便利になったのでしょうが、何かとゆとりがなく
暮らしにくいような感じもしてしまいます。

でも世界には海外から絶賛されている
国があります。

以下はその国を訪れた外国人の感想の一部です。
どこの国だと思いますか?
(どれもある一つの国のことを言っています)

(1) 「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。
一見したところ、富者も貧者もない-これが恐らく
人民の本当の幸福というものだろう。」

(2) 「上機嫌な様子がゆきわたっているのだ。
群衆のあいだでこれほど目につくことはない。
彼らは明らかに世の中の苦労をあまり
気にしていないのだ。

彼らは生活のきびしい現実に対して
外国のように敏感ではないらしい。
都会の群衆によく見かける心労にひしがれた
顔つきなど全く見られない。

頭をまるめた老婆からきゃっきゃっと
笑っている赤児にいたるまで、彼ら群衆は
にこやかに満ち足りている。
彼ら老若男女を見ていると、世の中には
悲哀など存在しないかに思われてくる。」

(3) どの子もみんな健康そのもの、生命力、
生きる喜びに輝いており、魅せられるほど愛らしく、
仔犬と同様、成長をこの段階で止められないのが
惜しまれる。」

(4) 「私はいたるところで子どもたちの幸せそう
な笑い声を耳にした。
そして、一度も生活の悲惨を目にしなかった。」

(5) 「海岸の住民も、みんな善良な人たちで
私に出会う度に親愛の情をこめた挨拶をし、
子どもたちは真珠色の貝をもってきてくれ(中略)
根の親切と真心はこの国の社会の下層階級
全体の特徴である。」

(6) 「勇気があって機嫌よくというのが、陽気で仕事熱心な
このすばらしい人々のモットーであるらしい。

女性たちは慎ましく優しく、子供たちは楽しげで、
皮肉のかげりのない健康な笑い声をあげ(中略)
彼らは、私がどんなに彼らが好きであるのか、
おそらく知るまい。

また、自分たちにどんなに愛される資格が
あるのかも知らない」

賛辞の嵐のようなコメントがまだまだ たくさんあります。

よっぽど素晴らしい人たちの国のようですね。
どこの国のことだと思いますか?

実はこれ150年ほど前の日本のことで
次の人たちの言葉です。

(1)  タウンゼント・ハリス (初代米国総領事)
 1856年(江戸末期)来日
 「日本滞在記」より

(2)  ウィリアム・グレイ・ディクソン (イギリス人)
  工部大学校(現在の東大工学部の前身)教師  
  1876年(明治初期)来日
  「The Land of the Morning(Edinburgh, 1882)」より

(3)  エドゥアルト・スエンソン (デンマーク人)
  フランス海軍の一員
  1866年から翌年(江戸末期)にかけて滞日。
  「江戸幕末滞在記」 より

(4)  ヘンリー・ヒュースケン (駐日アメリカ総領事館の通訳)
  1856年(江戸時代末期)来日
  「日本日記」より

(5)  エメェ・アンペール (スイス遣日使節団長)
  1863年(江戸時代末期)来日
  「幕末日本図絵・上巻」より

(6) フェルックス・レガメ (フランス人画家) 
  1876年(明治初期)と1899年(明治後期)来日
  「日本素描紀行」より

江戸時代というと農民が重い年貢に苦しみ
多くの人にとってはつらい時代だったような
イメージが 私にはありましたが、実は違うようです。

江戸末期1820年(文政3年)~1829年(文政12年)に
シーボルトに仕えたオランダ人フィッセルは
次のように言っています。

「日本人は完全な専制主義の下に生活しており、
したがって何の幸福も満足も享受していないと
普通想像されている。

ところが私は彼ら日本人と交際してみて、
まったく反対の現象を経験した。
専制主義はこの国では、ただ名目だけであって
実際には存在しない。

(中略)自分たちの義務を遂行する日本人たちは、
完全に自由であり独立的である。
勤勉な職人は高い尊敬を受けており、
下層階級のものもほぼ満足している。

(中略)日本には、食べ物にこと欠くほどの貧乏人は存在しない。
また上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、
それを見れば、一般に満足と信頼が行きわたって いる
ことを知ることができよう。」

「日本風俗備考・1」より

うらやましいような世界ですね。

そういった素晴らしい時代が日本人の記録として
残されていないのは、その後の歴史を作った
明治新政府が史実を残すのを好まなかった
側面が あるのかもしれません。

戦争により多くの人の犠牲の上にようやく
作り上げた 新政府が、それまでの時代のことを
良く言う記録を 残したがるはずはありませんよね。

歴史は勝者が作るという例なのかもしれません。

私たち日本人・日本という国は、実は当時の
欧米人たちが驚嘆するほどの素晴らしい所 だった
ようです。

その日本が誠実で素直・勤勉な国民性をもって 堂々と
主張することは主張していけば 現在でも世界のリーダーと
なる資質があるとさえ思えてきます。

素晴らしい国、日本。
442079633_ef4612b3d2_m.jpg

ところであなたは江戸時代のことをどう
思っていましたか?

その他感想などありましたらぜひコメントをください。




江戸時代は実は素晴らしい社会だった!

posted by 真也 at 17:01| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。